受容



 フローラは町で偶然、あの青年とばったりと会った。
 そう、町の外へ出ようとしていたリリアンを止めてくれた旅人、名前をそう、確か、リュカと言った。
「あなたは、たしか、リュカさん、でしたよね」
「やぁ、さっきは、どうも」
 リュカは、なんだかバツの悪そうにくしゃくしゃと髪をかき回した。あまり女性と話した経験がないのか、彼はどことなく苦手そうな苦笑いを浮かべていた。
 そんなリュカに、フローラは不思議と好感を覚えた。
 リリアンが懐いた人なのだ。悪い人のはずがなかった。それに、この屈託のない笑顔を見ていると、不思議と、心が落ち着いた。
 フローラはあまり男性に免疫がなかった。物心ついた頃から大富豪ルドマンの一人娘として育ち、そして、ついこの間まで男子禁制の修道院にいたのである。同年代の若者で知り合いで、物怖じせずに会話のできる相手といえば、幼馴染のアンディくらいのものだった。
 そんな自分が、不思議とこのリュカという青年にだけは、自然体でいられる。
 だからだろうか、二人は自然と溶け込み、フローラとリュカは、友人同士のように広間の噴水場に腰掛けていた。
「最初、あなたがいたことが、驚きましたわ」
 フローラはルドマンの会合のことを言っているのだろう。リュカは、恥ずかしそうに笑った。
「いや、すみません。私もまさかフローラさんがあなただとは、知りませんでした」
「その、リュカさんは、どうして、あのような場所に」
 フローラにとって、それが唯一の気がかりだった。
 彼のような人間が、財産目当てにこのような会合に集うことは、考えられなかった。
「あなたには、嫌われても、仕方がないですね」
 リュカのその言葉に、フローラは驚いて、首を横に振った。嫌いになんて、なるわけがありません。そう言いたかったが、続くリュカの言葉にさえぎられ、その声は喉の外には出なかった。
「あそこに行けば、あなたのお父上が持っている盾が、私の探しているものかどうか、確かめられると思ったからなんです」
「え……?」
 フローラの胸に、不安がよぎる。
「天空の、盾のことを?」
「えぇ、私は、天空の武具を集めるために、今まで旅をしてきました。いつか、伝説の勇者に、めぐり合うその日のために」
 その後、リュカから彼の生い立ちと背負っている宿命のことを聞いたフローラは、自分が少しでもリュカを疑ってしまったことを恥じた。
「けど、天空の盾を手に入れるには、どうしても、二つのリングを集めなければならないようですね」
 困ったものです、そう言いたげに、リュカは力なく笑った。
 フローラは、何もいえなかった。自分のために、危険を冒して欲しくはない。だが、自分では、父を説得することはできない。父の頑固さは、自分が良く知っていた。一度決めたら、絶対に曲げようとしない人なのだ。
「それで、リュカさんは、どうするつもりなんですか」
 恐る恐る、フローラは聞いた。すると、リュカの表情がほんの少しだけ、こわばった。彼は困惑ぎみに、頬を掻いた。
「正直、迷っています。天空の盾は手に入れたい。だけど、ああいうのは、ちょっと……」
 まさか、全てを終えた後で天空の盾だけ持って夜逃げするわけにはいかない。そのような詐欺まがいのことを、真面目なリュカは考えたこともなかった。
「リュカさん……」
「あなたも、見ず知らずの男との結婚なんて、ごめんでしょう?」
 リュカは笑いながらそう言ったが、その言葉が、フローラの胸に、なぜか悲しく響いた。
「こりゃ、盾は諦めるしか、今のところ、方法はないかな?」
 またターバンの中に手を通して髪の毛を掻く。どうやら、困った時に出る彼の癖らしかった。
「あの」
 フローラは聞いてみたくなった。だから、思い切って言った。
「旅は、楽しいですか?」
「……はぁ?」
 突然の質問に、リュカは思わずあっけに取られた。
「いきなりですね」
「ごめんなさい」
「いや、いいんですよ」
 リュカは笑って許した。
「楽しいといわれれば、楽しいかもしれませんね」
 曖昧な言葉遣いだった。フローラは、よりいっそう、彼の言葉に耳を傾けることになる。
「けど、辛いといわれれば、辛い。苦しいと言われれば、苦しい」
「あ、あの……」
「旅とは、そういうものです」
 リュカは笑ってそういった。たった一言だったが、フローラには感じた。たった一言の裏側に秘められた旅から得られた経験の深さが。
「……あまり、魅力的には感じられませんか」
「いいえ、いいえ」
 フローラは、何度も首を横に振った。
「どの吟遊詩人の歌よりも」
「いや、すみません」
 フローラの言葉をお世辞とでも受け取ったのか、リュカはすまなそうに頭を下げた。
「どうも、こういうことに関しては口下手でしてね。私は、どうも吟遊詩人にはなれそうにはないらしい」
「ふふっ」
 冗談とも本気とも思える言葉に、フローラは思わず微笑んでしまった。
「旅に、興味が?」
「……私は、籠の中の鳥ですから」
 フローラの目が、霞を帯びた。気取って言っているわけではない。それは、彼女の息苦しい表情で明らかだった。
 それは、そうか。気の毒に。いくら住む世界が違うとはいえ、同情を禁じえない。もし、自分が同じ立場だったならと思うと、リュカは背筋に寒気を覚えた。これが恋愛小説ならば、自分に理想の殿方が目の前に現れてくれるのだろうが、実際はというと、欲望という名の沼地に首まで浸かっている男達というのが現実というものだろう。
「フローラさん?」
 少しでも、気持ちを軽くして上げたかった。その時は同情の感情でリュカは言った。その時は。
「武器、防具の売っている店を、できたら教えてくれないかな? この町は、初めてでね」
 その言葉を聞いたフローラは、驚いたように顔を上げ、しばらくの沈黙の後、「はい」と口にした。その表情は、どこか綻んでいたように、リュカには見えた。
 二人の行動は、速やかだった。
 まず、フローラの服を着替えた。ルドマンの令嬢と一緒に外を歩いていることが知れたら、どんな噂が流れるか。
 幸い、ついこの間まで修道院にいたフローラの容姿を知る者は少なかった。その中の一人に洋服屋の亭主も含まれていたのは、幸いだった。
 フックに掛けられてあった服を選んでから三分後。着替え室のドアを開けて出てきたフローラは、どこから見ても、普通の村娘といった印象だった。もちろん、だからといって彼女の魅力が損なわれるわけではない。布生地のゆったりとした皮のドレスが、髪を三つ編みに結った髪型が良く似合っていた。
「どう、ですか?」
 フローラは照れくさそうに、肩から下げた二つの三つ編みのうちの片方を指先でいじった。
「あ、あぁ」
 不覚にも見とれてしまっていたリュカは、感想を求められて一瞬、言葉が浮かんでこなかった。
「そ、その、よ、良く、似合っているよ」
 言ってみてから、まずかったかな、とリュカは思った。だが、深窓の令嬢は率直な返答を素直に喜んだ。


 楽しそうに街頭を歩く二人の姿は、はたから見れば旅人同士のカップルに見えたことだろう。フローラの傍を人が通り過ぎても、あのルドマンの一人娘だと気づく者はいなかった。
 彼女自身十年ぶりの帰郷だったので、見るもの全てが懐かしく、そして、新鮮に写った。
 子供の頃に、父に内緒でよく通ったキャンディーショップや、大人になったらいつか行こうと胸に決めていたおしゃれなブティック。本来の目的を棚に上げて、リュカは黙ってお嬢様の従者役に勤めていた。
 武器や防具なんて、最後でいい。少しでも、フローラ嬢の気晴らしになれば、それでいい。リュカは最初からそのつもりだった。
 気がつくと、空はすっかり暗くなり、星が出ていた。
 知らず知らずのうちに、リュカ達は再会の噴水のところに戻ってきていた。
「ごめんなさい。私ったら、はしゃでしまって」
「あぁ、いいんだよ、別に」
 気落ちするフローラに慰めの声を投げかける。その時になってようやく、リュカは先ほどから自分が敬語を使っていないことに気づいた。フローラの態度も、出会った頃と比べて、柔らかいものになっている。少しは、馴染めただろうか。
「武器と防具の店は、明日にでも行けばいいさ」
 もともと、サラボナはそう広い町ではない。そして、武器、防具屋もともに一軒しかないのだ。
「ありがとう。そういって頂けると、嬉しいです」
「……少しは、気晴らしになったかい?」
 何気なく言うリュカの言葉に、「えっ」とフローラの目が大きくなる。ようやく、彼の真意がわかり、彼女は今度は笑顔で頷いて見せた。
「リュカさん、わたし、旅というものに、憧れているんです」
「あぁ」
 リュカは相槌を打つ。薄々感じていたことだった。自分を見つめるフローラの目線は、自分個人というより、一人の旅人に向けられていたかのように思えていたから。
「わたしは、何不自由ない暮らしを送ってきました。そう、不自由しない。だけど、自由のない暮らし。もちろん、お父様を恨んでいるわけではありません。お父様は、私をここまで育ててくださった方ですもの。けど、一度でいい。一度でいいから……」
 天空を仰ぐフローラ。それはまるで、大空に魂を引かれているかのようだった。
「自分の意思で生きてみたい」
「フローラ……」
 リュカはそんな彼女を横から見守ることしかできなかった。
 生きてみればいいじゃないか。そういいたいが、それは、無責任の言葉でしかないだろう。自分には、束縛されている彼女の気持ちはわからないのだから。
 だから、別の言葉をなげうつしかなかった。
「明日には、死の火山へ向かおうと思う」
「え?」
 振り向くフローラの顔は、予想したとおり、不安げなものだった。
「このまま、サラボナで止まっていてもいられない。結婚とかは別として、炎のリングと水のリングを手に入れることで、新しい選択肢が得られるチャンスがあるのなら、僕は、それに掛けてみようと思うんだ」
「リュカさん」
「まぁ、いわば、考えるより、行動してみよう、なだけなんだけどね」
 リュカは苦笑した。正直、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「だけど、約束するよ。もし、二つのリングを手に入れても、君を不幸にするようなことには、絶対にさせない」
 それは、果たしてどういう意味なのだろうか。リュカは、自分で言いながらも、疑問に思った。それはプロポーズにも聞こえれば、二つのリングを持って帰っても君には求婚しないから、とも捉えられる。結婚なんて冗談じゃないという気持ちは今でもある。だけど、こうして、目の前の女性に惹かれている事実を、自分は感じていた。
 ただ、曖昧なだけなのかもしれない。だけど、今のリュカには、これ以上の言葉を続けることはできなかった。そんな気持ちを、フローラがわかってくれたかは知らないが、
「私のことは気になさらないで。あなたは、あなたが正しいと思う道を、歩んでください」
 そう、彼女は包み込むような微笑みを浮かべてくれた。他でもない、リュカのために。

 たとえ、彼がどのような決断を下しても、自分は絶対に後悔はしないだろう。そう、フローラには確信めいたものを自分自身に感じていた。そうなってしまうのは、自由に憧れつつも、籠の中で育った者のサガなのかもしれない。そう、自分が本当に欲しかったのは、自由とは別のものだったのかもしれない。
 それを今自覚したフローラだからこそ、リュカを信じて帰りを待つのだ。
 彼の出した答えなら、どんなものでも受け入れられるはずだから。






 END





投稿者(花屋敷史佳様)のコメント

こんにちは! このたびは、私のような者が書いたSSを受け取ってくださり、ありがとうございます!!ゲームでは主人公とフローラは、結婚前はあまり接点がないようなので、この辺を重視して書いてみたいなぁ、と思ったのが執筆のきっかけです。正直、あまり細かに描写できなかった感がありますが(汗)主フロSS、これからも精進していきたいですね。それでは。

管理人のコメント

流石花屋敷様!!と言わずにはいられないですっ。結婚するしないは関係無く、主人公がとてもフローラのことを大切に思っている様子がかっこいいですvv
リメイク版でもこんな感じに、二人が会話する機会があると良いですね〜…。
花屋敷様、ありがとうございました!








写真提供:「ひまわりの小部屋