至福の時




キッ…という微かな音を立て扉を少し開けると、フローラは部屋の中をうかがった。
本や書類が山積みされた机に、愛する人はいない。
どうやら自分の頼み事はちゃんと伝わったようだ、と思い、フローラはホッと溜息をつくと、部屋の中へそっと入った。

フローラはすぐに、大きなソファの上で眠るトランを見つけた。
仮眠というより熟睡のように見える。相当疲れが溜まっていたのだろう。
そっとソファに近づき、膝をついてしゃがむと、スースーという小さな寝息が聞こえる。

普段は周りに冷たい印象を与えるトランだが、寝顔はどこかあどけなくて可愛らしい。
こんな事、本人の前ではとても言えないけれど。
しかし、それを言った後の彼の表情が想像できて、何だかおかしい。


クスクス……


フローラは小さく笑った。
すると、ソファについていた手を何かにギュッと掴まれた。

「きゃっ!」

「…何、笑ってるんだ?」

どうやら起こしてしまったらしい。
フローラは少しバツが悪そうな顔をしたが、すぐにまた小さく笑った。

「……幸せだなぁ…と思って」

そういうとトランは満足そうに微笑むと、再び小さな寝息をたて始めた。

そっと額に手を乗せてみるが、起きる気配は無い。
どうやら寝ぼけていたらしい。

フローラはそのまま額から頬にかけて優しく撫でた。
安心しきったように眠る愛しい人―――。


フローラはその頬にそっと唇をおとした。




フローラの髪が顔にかかったせいか、トランはむず痒そうに小さく唸った。
その反応を、出会った当時のトランから誰が想像できただろうか。

先程の満足そうな笑みも、今の寝顔も、唯一自分だけが見ることができるものだ。
誰に対してでもないけれど、フローラは微かな優越感を感じずにいられなかった。

ここしばらく一緒にいられなかった寂しさも、そう感じた瞬間に全く無くなっていた。
第一、離れていた八年の歳月に比べれば、大した事ではない。
こうして彼がいて、子供たちがいて……それだけで幸せだ。


そう思いながら、フローラは飽きることなく、トランの顔を幸せそうに眺めていた。




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