HONEST 「…………」 「主竜神(マスタードラゴン)、いなかる思いを巡らせてるのです」 『天空の勇者』を示す恒輝星が竟(つい)に落ちた。それは、魔族擾乱(じょうらん)の首謀が滅してより数十有余年。四海を支配せんとした魔族の皇子は追罰を受け至上位より身を引き、名実共に天空八勇士の功業は伝承の古文書に書き綴られることとなった。 「うむ――――」 主竜神の炯眼(けいがん)は大地を遍く聡し万象を導く。地上に根付く人間や動物、魔物に至るまで須くそのの天恵に与り、平和な日々を謳歌するのだ。 大地を見つめながら思いを巡らせる主竜神に、天空人の側近は気になって訊ねた。しかし、主竜神は珍しくお寂しげな表情であられたのだ。 「私にも、ただひとつの過ちがあった……」 「…………」 「天空の勇者が寂滅したこの時となっては、もはや償いも及ばぬか――――」 「お嘆きになることは、ございません主竜神。天空の勇者には、血脈がございますれば……」 「見守ることぞ、私の贖罪と申すか」 「魔界は戡定(かんてい)されました。しかし、いつまた悪しき野望を滾らす者が現れるとも限りません――――。そのためにも、勇者の血脈は絶やさぬ事」 「不吉なことを申すものだ。……しかし、一理ある。その時こそ、私は持てる力で勇者を再び、導こうぞ」 「天空の勇者の血は、何者にも潰せませぬ。……そう、何があっても――――」 千余年後―――― 仇敵、ジャミは滅した。そこまでは、憶えていた。 いつの間にか身を置く広漠とした意識の中で、アレムはゆったりとした時の流れを感じる。 「――――――――」 身体が軽く、空を舞うかのよう。白い薄靄が眼界を覆い尽くし、アレムはその大気に躍った。 「そうだ、フローラ。フローラはどこに」 しかし、いつまでも身を躍らすような開放感に浸る暇はなかった。 見渡しても、傍に寄り添っていたはずの最愛の妻はなく、二人の愛の結晶である二人の子供もいない。ただ、孤独に彷徨うだけの青年が一人。 「ああ、何故周りが見えないんだ」 霧中に藻掻くアレム。声を絞っても、それは空しく吸い込まれてゆく。 狭隘な空間に押し込められた孤独感に、アレムはとち狂いそうな圧迫感を覚える。 (アレム――――) 不意に脳裏に響く低い美声。 「……? 誰だ――――」 (我は汎神。世界を遍く識り、運命を司り、導く者。グランバニア大君アレム。案ずることはない。そなたの伴侶は、壮健である) 「汎神…………主竜神か。ここは――――フローラはどこに……」 (そなたも、そなたの一族も、すべて遁(のが)れられぬ運命にある。――――しかし案ずるな。そなたも、そなたの伴侶も決して滅びぬ。今は待て。ひたすら待て。いずれ、力強い勇者の光がそなたを救うはず) 「勇者の……光――――?」 その言葉に、アレムの胸は心ならずも熱くなる。 「待ち続けてきた伝説の勇者が、現れたのか」 (永き道程、そなたの強き想いが伝承を甦らせた。そなたと……そなたの伴侶――――) 主竜神はぴたりと言葉を止める。そして、一瞬の眩く温かな光がアレムの目を塞ぐ。 そして再び瞼を開いたその時、主竜神の姿は無く、代わりにそこにいたのは、誰よりも愛おしい女性の姿であった。 「フローラ、無事か。ああ、何故だろう。君を見るのは、随分と久しぶりのような気がする」 「あなた……私は大丈夫です――――」 アレムは咄嗟に駆け寄ろうとするが、不思議にもフローラとの距離が縮まらない。 「どうして……どうして届かない――――」 フローラは、微笑んでいた。 「あせらないで、あなた……。私たちは、必ず巡り逢えますから――――」 「巡り逢える……? そんな。君は目の前にいるじゃないか」 アレムの言葉に、フローラは僅かに睫を伏した。 「……あなたの想いが、私を引き留めてくれているのです。……あなたが、私のことを想ってくれているから――――」 「何を言う。当たり前じゃないか。君以外の、誰を想う――――」 アレムは必至に腕を伸ばした。届かぬ愛しい姿。フローラはその深い瞳に翳を射す。 「アレムさん――――私を……待っていて、くださいますか――――」 「待つ――――?」 その言葉に、不思議な響きを感じたアレムの瞳がきゅっとしぼむ。 「あなたも……私も……こんなに側にいるのに、触れることも出来ないの――――」 フローラが切なげな瞳をアレムに向けながら、しなやかな腕を伸ばす。 「…………」 アレムもそれに応えようと手を差し延べる。しかし、どんなに踏ん張っても、互いの掌の温かさを感じ取ることは出来なかった。 (あなたが喪った時間……同じ苦しみを、私も共に――――) フローラはまっすぐ、アレムを見つめ続けていた。温もりを感じることが出来ない、愛する人を目の前に、ただじっと、眼差しで捉えているだけ。 「僕は……僕はいったい――――フローラ、フローラ。君はいったい――――」 思わず、アレムは声を高らめた。茫漠たる意識に、アレムは得も知れぬ苛立ちを感じていた。 (大君、そなたは良き路を歩んでおるか) 主竜神の声が脳裏に響く。 「良き路……。主竜神、これはどうしたこと。僕やフローラは――――」 (試練だアレム。そなたと、そなたの伴侶と――――そして、甦りし天空の勇者に課せし、遁れられぬ試練――――) 「試練……天空の勇者――――」 (その身は永く離れ、想(こころ)のみ重ね、夫々(それぞれ)の愛と絆を較べ連ねる、岐(わかれみち)――――) 「よく解らない。今になって、天空の勇者が現れたのか。フローラ、君は……君は誰なんだ――――!」 アレムは幻想的なその空間に美しく佇む妻を凝視する。その眼差しに、フローラは再び、瞼を伏せる。そして、まるで何かを達観したかのように、神秘的な口調で、口を開いた。 「私は……天孫――――。あなたと邂逅(であ)うために、あなたと同じ時代(とき)に生を受けた、天孫の一人です――――」 「天孫――――まさか、君が天空の勇者の末裔――――」 その時、アレムの脳裏に、ジャミから窮地を救った聖なる光輝が過ぎる。 「君が勇者の末裔でも……天孫の一人……まさか他にもいると言うのか」 「…………」 その言葉に、フローラの表情は曇る。 (大君、我が守護せりし天孫の系譜は、後に八(わか)つこととなった。辛き宿命をグランバニアに負わすことは我、殊に忍びない。しかし、アレムに魔界を鎮めし天運在ればこそ) 「…………」 (アレムよ。そなたの伴侶の申す通り、天孫はもうひとつの家系に連綿と続く。今もそなたの天命に与りし運命を待ちつづけていよう。――――大君、その時そなたは、いずくをして魔界に挑む) アレムは脳に響く主竜神の声を深く胸に刻みながら、フローラの切ない表情をまっすぐに見つめ離さない。 「言わずと知れたことです。私は、何があってもフローラとともにある。――――たとえこの身が砕けようとも、刺し違えても……目の前の愛しい妻と、天空の勇者を守護し、魔王を鎮める」 「…………あなた――――」 フローラの表情からみるみるうちに翳りが消えてゆくのがわかる。 (天空の勇者が片や末孫にあってもか――――) 「迎え入れるまで。アレムはただ、両親の志もて天空の勇者を守護し、大魔を討つことが宿命でありましょう」 (八つ年を経ても、想いは変わらぬか。そなたの愛しき伴侶に触れられぬままにあっても、不変なのか) 「僕は今――――フローラと、残してきた子供たちを守りたい――――。家族への想いは、たとえ千歳の時を経て、誰もが不変でありましょう」 「アレム……さん――――。本当? ほんとうに、そう思って下さいますの?」 フローラの瞳は熱く潤み、愛しい人を見つめている。 「そのためならば、何年でも待つ。フローラ、君や我が子を、この腕に抱きしめることが出来る日を、ずっと信じて待ちつづけることが出来る」 アレムはゆっくりと身を乗り出す。するとどうだろう。今まで決して縮まなかった二人の距離が近づく。互いの温もりを感じることは出来なかったが、アレムはフローラの姿を抱きしめた。 「ああ、あなた……愛しています――――そしてずっと、ずっとあなたを待ちつづけています――――」 フローラはアレムの胸に包まれるように安らかな表情でいた。そして、その眦に光る小さな粒。 (さすがよ大君――――そなたならば必ずや……) 主竜神の声が遠ざかると共に場面がフラッシュし、アレムの視界に色がゆっくりと戻る。そして、微かに薫る潮風が無性に懐かしくさえ思った。 「…………」 「……お父さん」 「お父さんっ!」 風に靡く、青い髪の少年、少女がすがり、叫ぶ。 アレムは微笑みながらゆっくりと二人を抱き上げ、言った。 「フローラを……君たちの愛おしい母を取り戻そう」 強く抱きしめる子供たちに、アレムはフローラの面影を感じた。そして、いずくとも知れぬフローラを必ず助けることが出来ると、アレムは確信していた。その微笑みが明るい未来へと向けられていることを、子供たちは何よりも嬉しかった。 END |
投稿者(鷹嶺昊様)のコメント 自サイト小説の一部ダイジェスト版。駄文……。これ書いてた時、文字通り石化中... 管理人のコメント アレム王かっこいい…(痺) 手を伸ばしても届くことの無かった距離が、お互いの強い愛(きもち)によって縮まる……一刻も早く、腕に抱いた人に温もりが感じられるようになったら…と願わずにはいられません。鷹嶺様、ありがとうございました! |
素材提供:「Little Eden」