月光草<宵待草に捧ぐ> その日グランバニア城はお祭り騒ぎになっていた。 王妃フローラが無事に救い出され、王夫妻の帰還を何よりも望んでいた国民達の前に現れたからである。 人々は王妃の帰還に喜び、城内の商店街は祝い酒を城内の 人々に振舞った。 フローラは今まで子供たちと遊んであげられなかった せいか、子供のようにはしゃいでいた。 シオンはそばでじっとフローラと子供たちを 大人のように、優しく遊ぶさまをじっと見ている。 それでもすぐに現実に引き戻される。 シオンは少し目を閉じた。これから何をしなければ ならないか。そしてオジロンに伝えること。 それはもしかしたらこんな日々は続かないかもしれない。 だが、それでも行かなければならない。 シオンはゆっくりと目を開けた。 今はいい。 今はフローラと子供たちの様子を見ているだけにしよう。 心がこんなに安らぐことは無いのだから。 「母様ー」 「フローラ母様」 子供たちがそれぞれの自分の部屋にフローラを引っ張っていこうとする。 「ねえねえ、見て。ほらほらエレ、母様の絵描いたんです」 一生懸命小さな手で絵を見せようとするエレノア。その仕草は まるで幼いころのフローラのよう。 あの大人しいエレノアがここまで元気になるなんて。 エレノアを育て上げたサンチョやオジロン、ドリスはただ驚く。 「まあ、それでは見せて下さいね」 フローラは嬉しそうに笑って娘の小さな手をとって絵を見始める。 その様子を伺うように娘はドキドキしながら、フローラの感想を待っている。 クレヨンで描いたから上手く描けたかどうか分からない。 もっと練習しておけば良かった。 お花もっと増やしたほうがよかったかな。 それとも笑顔の方がよかったかな。 上手く描けたかな。 エレノアは両手でモジモジと恥かしそうにしてはフローラの様子を見ている。 母様はどんな風に言ってくれるだろうか。 もしかして駄目、なんて言うかもしれない。 それでも構わない。だってこうして母様がいてくれるのだから。 もうどこにも行かない、自分たちだけの母様。 フローラはしばらく絵を見た後、エレノアの頭をなでた。 嬉しそうに、瞳に涙をいっぱい溜めながら。 良く出来ました。ありがとう。一生の宝物にしますね。 その言葉を聞いてエレノアは嬉しそうにフローラに抱きつく。 こんなに嬉しいことはない。 初めて母親に認められたこと。初めて母親に甘えられること。 どうしてこんなに嬉しいのだろう。 フローラはレグルスに近づく。 「どうしたの、レグルス」 兄らしく泣かないでこらえているレグルスに フローラは近づいて抱きしめた。 「泣いてもいいの。これからはずっといてあげるから」 それを聞いてレグルスはフローラの胸の中で泣いた。 今まで妹エレノアを見ていたレグルス。父に甘える時間がなく、 ただ勇者という宿命を果たそうとしてきた。 でもこれからはシオンとフローラがいる。 「母様、母様・・・・聞こえている?僕ね、僕ね・・・・」 最後は言葉にならない。ただ思いの丈をフローラに伝えようとしている。 フローラも涙を浮かべながらレグルスの頭をなでた。 「うん、うん。聞こえていますよ。大丈夫。私はずっと貴方達のそばに いますから。今までごめんなさい、お母さん何もしてやれなくて」 シオンはその様子をゆっくりと見つめている。きれいな黒曜石の瞳。 少し角度を変えると光の加減で色々に見える。 母マーサの瞳。人を惹きつけてやまないそのきれいな瞳。 フローラの様子を、子供たちの様子をゆっくりと見ては楽しそうに笑う。 子供たちが手を振る。それに応えるシオン。 優しそうに笑いながら。 しばらくして、フローラは子供たちを子供部屋へと連れて行った。 小さな二つの手を握って。 母親らしい笑みを浮かべてフローラは 眠たそうにしている子供たちの手を引いていく。 戻ってきたフローラにシオンは紅茶を淹れた。甘い香りが室内に広がる。 ティーポットのリーフがゆっくりと広がり、コポポ・・・とティーカップに 注がれる褐色の液体に彩りを添える。 「お疲れ。子供たちはもう寝たのかい?」 「ええ。余程疲れていたのでしょうね。私が子守唄聞かせてあげたら すぐに。それと貴方にも迷惑をかけてしまって。ごめんなさいね」 楽しそうに笑うフローラ。だがシオンには分かっていた。 戻ってきてからやたらと元気に振舞おうとしている彼女を。 いや本当の自分を隠そうとしている。無理に笑って子供たちに接している。 「フローラ」 「はい。何ですか?」 ゆっくりと振り向く彼女。シオンの言葉を聞いてもまだ楽しそうに笑っている。 子供たちとの会話を一つ一つ思い出しているからだろうか。 シオンはフローラを後ろから抱きよせる。 優しくギュッと抱きしめてフローラの体の温かさを確かめる。 シオンには分かっていた。 ビアンカが太陽の下で咲く大輪の向日葵なら、 この子はゆっくりと凛とした月夜に咲く月光草。 誰にも知れず、ゆっくりと白い花を咲かす。 本当は綺麗な花を咲かすのに、朝になれば萎れてしまう。 月の夜だけにひっそりと咲く美しさ。それは幻想でしかない。 だが、ここにいる子は温かみをもって生きている。 冷たい月の光だけに生きているのではない。 この子はちゃんと、自分の考えをしっかりと持っているからこそ、 暖かみをもっている。 だからこの子を愛しいと思う。大切にしたいと思う。 「あっ・・・何を・・・・」 「僕が分かっていないと思っていたのかい?」 「何をおっしゃっているのか・・・・わかり・・・・ませんわ・・・・」 シオンはフローラの前髪を少し弄くる。 クルクルとシオンの指が フローラの蒼く細い髪を弄んでは優しく話しかける。 シオンの手のひらで優しく解ける蒼い髪。 ゆっくりと指に絡ませてはリンスが効いた蒼い髪の感触を楽しむ。 「僕ね、フローラの髪って好きだよ。でも嘘はいけないと思うんだ。もう一回聞くよ」 「・・・・・・・・・・・・・・」 「フローラは不器用だから顔に出ちゃうからね。隠そうとしても駄目」 少年はそう言いながら少女の柔らかく艶やかな唇を奪う。 目を閉じてその甘い感触を 確かめているだけでも少女は幸せだと思う。 「んん・・・・・・・フローラ、どうしたの?」 「んんっ・・・・・・・・・・・・・・・・」 二人から甘い吐息が漏れる。 頬を赤らめた少女は優しく大人びた少年の黒曜石の瞳に見つめられて言葉を詰まらせる。 「どう・・・して・・・・そんな事・・・・・」 少女の潤んだ瞳は少年の黒く優しい瞳に酔ってしまいそうになる。 「一番泣きたいのはフローラでしょ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「フローラ」 シオンは彼女をゆっくりと抱きしめる。 その言葉に答えるかのように、フローラは泣き始めた。 今まで自分が受けてきた仕打ち。何も助けてやれない自分。 もどかしい。どうして一歩を踏み出すことが出来ない。 目の前で起きた惨劇にどうすることもできず、ただ見ていることしかできない。 「奴隷の方々が死んでいくのを私はただ・・・ただ・・・・ただ・・・・」 「分かっているから」 「ひっくひっく・・・・・・もう死なせないで・・・・もう殺さないで・・・お願いですから・・・」 涙を流すフローラをシオンはただ抱きしめている。 シオンの優しい手がフローラを何度も撫でる。 「もうこんなに悲しい事させないで・・・・下さい・・・・もうこんなに・・・・」 シオンの胸の中で咽るように泣くフローラ。 石となった口で何度、ごめんなさいと言っただろうか。救ってやれないと 言う事がこんなにも苦痛だったとは。 ビアンカだったら、許さないと言っただろう。 だがこの子にはそんな事は言えなかった。 他人の事を最初に考えるこの子だから。 優しく接して人々に慈愛を与えるこの子だから。 他人の痛みがすぐに分かってしまうこの子だから。 それを一人で抱え込んで、部屋の片隅で泣いて。 それを知られないように一人で笑って。 笑顔でいることが苦痛にもなるのに。 「フローラは不器用だからね。もっと笑って良いんだよ。もっと泣いて 良いんだよ」 フローラは無言で少年の胸で咽ぶように泣いて、肩を振るわせる。 「本当に・・・・泣いていいのですか・・・私・・・・は・・・・」 グランブルーの瞳いっぱいに溜めた涙。 頬に伝う涙を見ているだけでも 少年は少女が心から他人を愛しているのだと分かった。 優しいからこそ、他人のために涙を流す。 それは一番彼女が愛している人でも。 でもそれを一人で溜め込んで苦しんでしまう。 その痛み。その心の痛みをすぐに理解してしまう。 愛しているがゆえに。 だから分かる。自分もそういうところがあるから。 奴隷時代ヘンリーやマリアを救おうとして自分の身を犠牲にしようとした事があった。 その都度ヘンリーには怒られた。 どうして怒られたのか分からない。ただ真剣な表情で怒られた時、 ヘンリーはシオンの頭をぽかりと叩いた。 責任を果たそうとしているのに、どうして彼が怒ったのか自分には分からない。 ただ涙を浮かべているマリアを見て自分が何をしようとしていたのか分かった。 お前一人で背負い込もうとするな。お前一人でやっている事じゃないんだ。 親友だからこそ、言ってくれる。それを聞いて何度救われただろうか。 でも胸の中で泣いている少女には友達がいなかった。 一人で遊んで、一人で父の言うとおりに動いて。一人で苦しんで。一人で泣いて。 それでもアンディに心配かけさせまいとして。 アンディの前では明るく振舞って、部屋の片隅でベッドに潜り込んでは泣いて。 いつしか夜を迎えてもそれを笑って過ごすだけの力がなくて。 強くなりたいと何度となく願ったことだろう。 たった一人で月の光を受けて瞬く月光草のように。 どんなに世界が明るく満ちていたとしても。光溢れる世界だったとしても。 少女の心を癒すことが出来ただろうか。 光溢れる世界が、人々の心を癒すのだとして、それならば 自分の心は癒しただろうか。 相手のことを最初に考えるこの子に、それが出来ただろうか。 世界を救うというこの果てしない運命に立ち向かえる力を持っているのに、 果たしてこの子の運命だけでなく、 この子の明るさを、この子の優しさを癒してあげる事ができただろうか。 たぶん出来なかった。 少年はじっと少女を見つめている。 不器用で、どこか自分に似ていて一人で問題を抱え込んで苦しんで。 それでもそれを越えようとして誰にも相談しないで、一人で生きていこうとする。 それは意思の強さとかそういうのではない。自分の心の弱さを見せないようにしているだけ。 それがどんなに寂しくて、悲しくて、辛くて。 一人で生きていく事が意思の強さではない。 意思が強いからと言ってそれが立派だというのではない。 それがどんなに辛くて悲しいことか。 たった一人で生きていく事など出来やしない。 シオンはフローラを優しく見つめている。 「シオンさん・・・・・・?」 「フローラは気張りすぎなんだよ」 「で、でも・・・・・王妃として・・・・」 「ストップ。それは違うでしょ」フローラの口を人差し指で塞ぐ。 「僕はグランバニア王だなんて思っていないよ。世界中で一番祝福された 恋人を娶っただけだよ」 それを聞いてフローラの頬が真っ赤になる。 悲しさ半分嬉しさ半分でどういう風に言って良いのか分からないでいる。 「ずるい・・・・です・・・・・そんな事言われたら・・・・・・」 「フローラ。君はグランバニア王妃だって皆に言われているけど、 僕は君を世界中で一番祝福された可愛い恋人にしか見えないよ。 だから僕は君を一生かけて愛していきたい」 「フローラ」 「ズルいです・・・・・そんな事言われたら泣きたいなんて思えないでは ありませんか・・・・・・」 大粒の涙が頬を伝っているが、その表情は明るい。 シオンは思う。 この子だって明るく笑う事が出来るはずなのに。 この子は宵待草ではない。この子は僕にとって 白薔薇でもなく、白百合でもない。 他人のために泣くのは良いことかもしれない。 でも少しでもいい、他人に甘える事も必要なのかもしれない。 心の底にそっと咲いた綺麗な白い花。それはオアシスとなって 自分の心を癒してくれる。 ささくれた心をこの子は癒して、笑みを与えてくれる。 それが嬉しくて、意地悪してもこの子の笑顔を見たいと思う。 だから今度は自分がこの子の心を癒してあげよう。 こんな世の中だから。 人と人が自分の信念を見失い、世界が混乱に陥っているからこそ、 必要なのではないだろうか。 たとえ明るき平和の世になったとしても。 どこかで人々は心の奥底に光を、花を求めようと彷徨う。 そっと瞳を閉じてみる。そこに何がある? 人はどんな事を言ってくれる? 人が見せてくれる心の温かさ。 笑っていて。泣いていて。 それは嬉しさ?それは悲しさ? どこかで忘れかけていたものだから。 心の底に咲いた綺麗な花がゆっくりと花弁を開くように。 そして抱きしめて共に泣いた愛する人の心を、 そして瞳をそっと閉じて共に想いを遂げた愛しい人の心を ゆっくりと解いてあげよう。 これからはずっと一緒なのだから。 これからはずっと支えてあげることができるから。 END |
投稿者(おし。様)のコメント 貴方の心に何が残りましたか?どこにでもあるのですよ、心の中に咲く 綺麗な花々は。私はたぶん見つけられそうに無いですから。 でもどこかにあるのだと思います。 管理人のコメント 人に心配をかけまいとするフローラと、そんなフローラに対する主人公の気持ちが、切ないほどに伝わってきて、胸がいっぱいになりました。”世界中で一番祝福された恋人”を、優しく守り続けて…と心から思います。 おし。様、素敵なSSの投稿ありがとうございました! |
写真提供:「M's Gallery」