空を見つめるその人



グランバニア城は今年も平和であった。放牧を得意とする山人たちは どんなに生活が苦しくても、日々の仕事に従事し、山羊の乳搾りだけは 忘れる事はなかった。

山羊や近隣にある港から運ばれてくる魚介類。
魚介類は塩漬けされてグランバニア城に入る。山人たちは 王家を愛し、敬愛の情を持っていた。
それは王家の者たちも同じ。 民の事を考え、敬い、そして如何にして人々を導いていけるか。
それだけを考えていた。それが王家の仕事。そして義務。

その日は晴れていた。澄み行く空。上空の雲はすでに霞み、 淡い霧のようになっている。カラカラに乾燥した空気はグランバニア城を 囲むように、守るように立ちはだかるヴォミーサの険峻によるものである。
海からの湿気を含む空気は険峻なる山脈に当たり風だけを 運んでくる。
カラカラに乾燥した空気だけを。だがそれが人々の生活に 役立っている。
山脈から新鮮な冷たい地下水が湧き出しては海へと流れこむために 南半球に位置するグランバニア城下の港湾は暑すぎず、冷たすぎる事はない。

人々の様子を見ながら一人の青年が草原で寝転んでいる。
長めに結った黒髪が静かに揺れ、まどろみを 楽しんでいるかのよう。
だが完全に寝ているわけではない。かすかに人々を守り、見守る その目は凛とし、柔和な笑みを浮かべている。

空が何と青いのか。雲が切れ切れになり、青い色と交じり合っては 溶け合うように白さが消えていく。
そして澄み渡る空。
どこまでも見つめていたい空。その先に何があるのか。

青年は寝転んでは民の様子を見つめている。何かを探している。
誰かを探している。迷いながらも見つけた宝物。青年にとっては光であり、 希望。そして道を見つけてくれた。
だが青年は眠くなってしまった。眠らないようにしたが、起きられない。
ウトウトして船を漕ぎ始めてしまった。太陽の光が心地よく眠い。

しばらくして青年は眠りに落ちていく。もし惰眠を貪る悪魔がいるのと言うのなら たぶん相当な悪戯者なのだろう。
青年の側まで一人の女性が来ていることまで 気がつかせないのだから。
そして青年の額に冷たいタオルを載せる。
「ひやっ!何だ!」青年は慌てて剣を取ろうとしたが手元には無い。
「敵か!」慌てて起きようとしたが止められた。
「駄目ですよ、あなた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悪戯が過ぎるぞ、マーサ」
「クスクス。だって悪戯したくなるような寝顔ですもの。何もしないというのは おかしいですわ」
「こら!!!」
慌てて飛び掛ろうとしたが、マーサの肩に乗っかっている スライムがピキーと鳴いて青年の前に立ちはだかる。
「パパス皇子!マーサさまを苛めちゃいけないんだ!」
「いや、だからな。そのつまりなんだ・・・・」
スライムが飛び掛ろうとしたがマーサの細く優しい指がスライムをそっと 抱きしめた。
「駄目ですよ・・・・・パパス皇子は私の夫なのですから、いけません」
「・・・・・・・・・・・・・・・」スライムはそっぽを向くとどこかに行ってしまった。

「どうしたのだ、お城の生活がつまらないか?」
「いえ、そうではありませんわ。ただ、貴方がお側にいらっしゃらないので ちょっと怖かっただけです。ここの人たちは心が澄んで純粋・・・・・ エルへブンにいた時と良く似ていますから何か嬉しくなります」
「そうか。あの長老たちには悪い事をしてしまった」
「そうでもありません・・・・・・ほら、あなた」
マーサはそう言うとパパスの隣に座ってスカートの辺りをポンポンと叩く。
「草の上で直接寝るのは構いませんが、私と致しましてはお側で 貴方が見ている空を見つめていたいです。だからご一緒しても構いませんか?」

「う、うむ・・・・・それはちょっと恥ずかしいというものだが・・・・」
真っ赤になるパパス。さすがに膝枕をして寝ると言うのは戦士の性分としてはかなり 恥ずかしく、さすがに体面を気にしてしまう。しかもパパスは一国の皇子なのである、 さすがにこれは恥ずかしい。
だがそんなパパスの気持ちもお構いなしに マーサはニコニコ笑ってはパパスをじっと見つめている。

ぽんぽん。

純粋にして優しさを秘めているその目。心が安らぐような気持ちにさせられる。
少し笑ってはぽんぽんと手を叩く。

しばらくして・・・・・
「気持ちいいですか、貴方」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まあ、真っ赤になっちゃって。このぐらいしても罰は当たりませんわ。 それともグランバニアの殿方はこれだけで真っ赤になってしまうのですか?」
「い、いや・・・・だからな・・・・その・・・・あの・・・・」
そう言うとマーサは笑顔で空を見上げた。
「ほら・・・・綺麗。空がこんなに綺麗だなんて・・・・貴方と一緒に見つめているからかしら? そう思えるのが私はとても嬉しいですわ」

その二人を守るように風を受けてタンポポの柔らかな産毛のような種子が飛んでいく。

高い空へ。もしかしたらここいる二人の想いを載せてどこまでも遠くに 行くのだろう。
高く高く、どこまでも高く舞い上がる。

風を受けて空に駆け上がろうとする。
それはまるで空を押し上げていくかのように 太陽の柔らかな光を受けてキラキラと輝きながらも舞い上がる。

それはまるで白い真綿が白い雲に混じってどこまでも遠くに 行ってしまいそう。
このタンポポの綿を掴む人は誰だろうか。 そして二人の想いを知るのは誰だろうか。
緑の大地を越え、白い雲を抜け、風に乗り、湖沼の大地を抜け、 山脈を抜けていくだろう。
氷で覆われた大地。熱風吹き荒れる砂漠の大地。
そしてその中で生活している多くの人々。町、村。そして都市。
お城。祠。皆多くの人々が生活し、そして日々の暮らしを大切にしている。

色々な人々の生活を見ながら。

どこまで行くのだろうか。多くの人々、多くの自然。果てなく広がる世界。
ここにいる二人はそれを見ることは出来ない。でもその想いを乗せて どこまで遠くに。
どこまでも。ずっと広がる果てしない世界。

「まあ・・・・タンポポ。今の私達を見守っているのですわ・・・・いつか私達の 子供にもこんな風景を見せてあげたいものです」マーサは嬉しそうにタンポポの 真綿をそっと手にしてはパッと離す。
風を受けてマーサの手のひらの タンポポは音もなく旅立っていく。
「そうだな・・・・・」
「ええ。きっと子供達も喜びます。子供をこれであやしましょう」
「もし子供が男の子だったら・・・・」
「関係ありませんわ。親から見れば子供はいつまでも子供です。そうして 私達の想いを受け継いでいくのです。子供のそのまた子供。そしてまた子供。 だから想います・・・・こうしてタンポポが舞い上がるこの光景をずっと子供達に 教えていきたい・・・・私達が御婆さん、御爺さんになっても」
「出来るさ。私達の子供はきっと・・・・出来るさ」

若きパパスは空を見上げる。澄んだ綺麗な空。透き通るような空。
光溢れるわけではなく、どこかで戦争の影があったとしても。
ラインハットのように戦乱に明け暮れているわけでもない。
ほんの小さな幸せ。愛しい妻がいて、民の生活を見守る。

もし世界が動乱になったとしても自分はグランバニア皇子として、 王として民を守り、そして愛しき妻を守る。
それが自分が出来る義務。 そして・・・・自分が出来る王家の仕事。
ほんの小さな幸せを守る為だけに。
家族がいて、皆がいて、そうして笑ってくれる。ただ小さな世界。
そんな小さな世界を守る。

そんな時、ウロウロしていたスライムが二人を見つけ走るように やって来た。
「あーっ!ずるい!マーサさま、パパス様だけにそんな事を!!」
スライムが慌ててパパスの逞しい胸の上に飛び乗る。
「こ、こら・・・私に乗るな!」
「ピキー!」パパスとスライムが睨みあうがさすがにマーサの手前 ニコニコと笑うだけ。
「クスクス・・・仲が本当に睦まじくて・・・・」
さすがにそれは違うのだが、マーサには仲睦まじく見えた。
「あらあら・・・・貴方、スライムに嫉妬ですか?」
「くううう・・・・・・・・・・」涙ながらにスライムを睨むパパス。

マーサはそこまで言うとパパスにそっと抱きつき頬にキスをした。
「ずっと離さないで下さいね・・・・・」
「ああ・・・・・・・・・・・・・分かっている・・・・・」
マーサの髪を確かめるように触るパパス。それだけでも愛しいと思う。

雲が切れ、太陽が雲の隙間から望む。太陽の光はほのかに二人を照らし、 山間に温かさを運んでくる。
タンポポの真綿も切れることなく飛んでいく。

ヴォミーサの険峻はそんな二人をいつまでも見守っていた。
山脈はじっとそこに横たえるように構え、人々に苦しさと温かさを 与えていく。

そう・・・・いつまでもずっと。

それから何年が経っただろうか。いや数えることなんて出来ないのかもしれない。
それを数え、幸せになるはずだった二人がすでにいないのだから。
だが・・・・それを受け継ぐ者は確かにいる。想いを受け継ぐ者達。

あれから全く変わっていない。いや変わるわけが無い。
人々の生活がどんなに、人々がどんなに変わろうともそれを見つめる 自然はずっとそこに存在し、人々に苦しさと暖かさを運んでくるのだから。
だが一つだけ変わった。そう世界が本当の意味で平和になった。
どんなに曇っても、雨が降っても世界に光が無くなる事は無い。

そう光が雲の隙間から差し込むように、どんなに曇ってもいつかは晴れる。
そして光は風となりて、種を運び、世界を再び緑で覆い尽くす。 森林は光を受けて育っていく。
雨で濡れた花の蕾は太陽の光を受けてゆっくりと大輪を咲かし、 様々な花々が満ち溢れては人々の心を豊かに満たす。
曇っていた空とていつかは晴れる。雲の隙間から差し込んでくる太陽の ほのかな暖かさ。
それは代える事の出来ないもの。

ずっと、ずっと。

人々の生活を照らし、四季を作る。

あの時と同じに人々を見守るように一人の少年がじっと草原に 寝ていた。
すべてが終わり、光溢れる世界になった。
戦乱や飢餓というものはなく、空は光溢れ、満ちていくような暖かさが 溢れている。
確かに大魔王の侵攻は無くなったが人々の生活は変わらない。

「ふあああ・・・・眠い。船漕いじゃうよ・・・どうして
大臣の御話って眠いのだろう」 少年はそれだけを言うと眠ろうとする。
生あくびを何度しただろうか、 目から溢れる涙を擦っては寝返りを打とうとする。
だがもしここで流れる雲が太陽を隠さなかったら少年はいつまでも隠れていた 少女に気がつくことは無かっただろう。

少年は少女の気配に気がつくも、少女の出方を見たくて そのまま寝ている事にした。
だが冷たいタオルが額に載せられる。その冷たさに目が醒め、 起きようとする少年。
「!!うわっ、一体なんだ!」少年は額に乗せられたタオルを退かす。
側にいた少女は吃驚した表情で少し笑う。でもそれは心地よい笑み。
「きゃっ・・・・ごめんなさい。あまりに気持ち良さそうだから・・・・」
「びっくりしたよ・・・・どうしたの?」
「大臣さんが探していたのでもしかしたらここかなって思って」
「それで大臣は?ここにいるって言ったの?」少年の言葉に少女は クスクス笑っている。
「だっているかな〜って言っただけですもの、たぶんまだ探していますわ。 それに私も大臣さんの御説教聴きたくありませんもの。修道院時代を 思い出しますから」
「それじゃあ・・・・?」
「はい。今日はサボリです。今日ぐらい休んでも罰は当たりませんわ。 そうです、決定です」
「良いのかな?」
「構いませんわ。お互いお説教には飽き飽きしていますし、 それに慣れない事をするのは疲れます。シスターに旅人の夫婦なんて 中々他では見れませんわ」
「王様、王妃失格だね、僕達」
「まあ・・・・・・・・・でもそうかもしれませんね」

その時一陣の風が吹いた。二人は驚いてあちこち見やる。
そうタンポポの綿毛が風を受けて舞い上がっていく。
白い絨毯が 風の中、空気に流れていくかのようにふわふわと舞っていく。

少女はそっと少年につぶやく。指を絡ませそっと握る。
そして少年の隣に同じように寝転んでお互いの顔をじっとみつめあう。

少年の瞳には少女の顔が。ブルーサファイヤの瞳。意思の強さを感じる瞳。
少女の瞳には少年の顔が。黒曜石の瞳。全てを見て赦す瞳。
キスをするぐらいに顔を近づける。抱き合いそのまま空を見上げる。

シオン・・・・・・・私達の子供達にもこの光景を見せてあげたい。
フローラ・・・・・僕も同じ事思っていたよ。おかしいかな?

いいえ。どうしてかこの光景を見ているととても嬉しくなるんです。
どうしてか分かりません。ただこの景色を絶やしてはいけないような気が します。

僕も・・・・・そう思う。もしかしたらまた遠い未来戦いがあるかもしれない。
人々が 自然の中にいると言う事を忘れて、自分達だけが正しいと思って 戦う日が来るかもしれない。
でもそれは自分達が何を見ているのか 分かっていないから。

タンポポの種が舞う中、シオンはフローラに囁く。
それは 二人が想った事。

ほんの小さな幸せがあれば、それだけで心が満たされるのであれば それはもっと大切な事だと思う。
失ってはいけないものだと思う。
そしてそれは世界を駆け巡り、きっとそれを大切にしようとするだろう。
長い歴史の中、きっと忘れる事があるかもしれない。
悲惨な出来事や憎しみ合い になってしまうかもしれない。
もっとたくさんの人が死んで初めて分かる 事なのかもしれない。

でもどこかで思い出す。そうどこかで。

それを失ってはいけないと。なくしちゃいけないと。

しばらくして・・・・

大臣がようやく二人を見つけ走ってくる。
その後ろにはヘンリーとマリアの 二人とコリンズ、子供達がやってくる。
「ようやく見つけましたぞ、お二人方!
もうラインハットのヘンリー大公様とマリア大公妃様がいらっしゃったのに! 急ぎ歓迎のご支度を、って・・・・・・どうしてこんなところで・・・・・ 全く・・・どうして・・・・」
そこまで言ってヘンリーとマリアはクスクス笑う。コリンズや子供達も それを見て何となく納得した。

「くうくう・・・・・・・」
「すうすう・・・・・・・・・・」
幸せそうに眠る二人。かすかな寝息しか聞こえてこない。
ただタンポポの種がフワッと舞っては上空に消えていく。

サラサラ・・・・風を受けて草花がゆっくりと稲穂のように動いている。
二人をまるで祝福しているかのように。

好きな人と共に。

「どうしてこの二人って変わっているんだろうなあ・・・・」
「案外似た者夫婦なのかもしれませんね」
ヘンリーとマリアの言葉に コリンズと子供達は首を傾げる。
「すぐに城内にてご用意を・・・」
大臣の言葉にヘンリーとマリアは頷く。

「構わぬ。ここで話をしようではないか。こんなにタンポポが咲いているのだ、 少しは自然の中でするのも悪くない。それに・・・・この二人を見ていると 何となく心が穏やかになる。いや・・・・この景色がそうさせるのかな?」
「私もここが好きです。まあピクニックですわね」

「それで・・・お二人は?」大臣は汗を拭き拭き答える。
ヘンリーは大臣の言葉にそっと答えた。静かにゆっくりと。


「・・・・・・・・・・少し待ってやってくれないか。自分たちで起きるまで」  





 END





投稿者(おんしー様)のコメント

忘れないように、この想い。皆さんがどこに行っても離れる事もあるでしょう。でもこれだけは忘れないように。この想いはどこに行っても 忘れないように。

管理人のコメント

主人公が寝ているのかと思いきや、父上でした。マーサの行動にどぎまぎしているパパスも素敵でした。そして二人の会話も…。パパスとマーサ、主人公とフローラ…そして子供たちへと繋がっていくのですね…。

おんしー様、ありがとうございました。









写真提供:「MIYUKI PHOTO