至福の時




「……はぁー…」

トランは持っていたペンを置き、軽く溜息をついた。
それは仕事を終えた安堵の溜息ではない。
机のわきにはまだ大量の羊皮紙が山積みにされている。

トランが家族と仲間達と共に、魔王ミルドラースを倒してから一年の歳月が流れた。
母を助けるための旅は終わり、今は父の跡を継ぎ、グランバニア王となった。

元は奴隷だった自分が今や一国の王だ。
魔物相手に剣ばかり振るっていたのに、今はただの紙切れ相手に悪戦苦闘している。

王という立場に責任も誇りも感じているが、こういう時ばかりはイヤになる。
お蔭でしばらくフローラや子供たちとゆっくり過ごしたためしが無い。

ぼんやりとそんなことを考えていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
トランが「入れ」と言うと、女官頭がお茶を持って入ってきた。

「お召し上がりになりますか。」

「ああ、淹れてくれ。」

そういうとトランは再び書類へと目を落とし、仕事をこなす。

「陛下…少しお休みになってはいかがですか?」

女官がカップを差し出しながら、心配の表情を浮かべトランに言った。

「顔色があまりよろしくありませんよ?ここ最近お部屋に篭りきりですし…
お仕事のし過ぎで体を壊されてはどうしようもありませんよ。」

母子くらい年の離れたその女官は、まるで我が子を諭すかのように言った。

(そうは言っても……)

トランはカップの中のお茶を飲みながら、周りに積まれた紙の山を眺めて、何とも言えない表情をした。

「年寄りの言うことは聞くものですよ!」

思っていることがわかったのか、女官は眉を吊り上げて言う。
しかしすぐに元の心配そうな顔に戻った。

「それに…フローラ様がとても心配していらっしゃいましたわ。」

「フローラが?」

「ええ。…実は、フローラ様に頼まれたんです。少しは休みをとられるように言ってほしいと。自分が言っても『大丈夫』の一言で片付けられてしまうだろうけど、私が言えば陛下も聞き入れて下さるでしょうからって……」

「あまりフローラ様に心配をかけてはいけませんよ。」

女官は念を押すように言うと、空になったカップを下げた。

(……心配、か……)

思えばフローラには心配ばかりかけていた気がする。
彼女がいたからこそ、自分は無謀だと思われることもやってこれたのだが。
しかし平和になってからも、彼女に心配をかけるなんて思ってもみなかった。
自分の事を思ってくれているのは嬉しいが、反面情けない気もする。


―――愛する人には幸せでいて欲しいのに。


トランは本日二度目の溜息をつくと、女官に向かって言った。

「……一時間したら起こしてくれないか?仮眠を取るから。」

その言葉に女官は満足そうににっこりと微笑み、かしこまりましたと言い、部屋を出ていった。

先程までは眠気など全く感じ無かったのに、いざ休むと決めた途端、トランは睡魔に襲われそのままソファへと倒れこんだ。




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